「樅木(もみのき)は残った」という
亡くなった平幹二朗扮する伊達家のお家騒動のNHK大河ドラマがあったが、

この10月は、イチョウに取り憑かれてしまったような1ヶ月だった。

この間の経緯経過は
手抜きですみませんが、
ちよだの声ファックスニュースの写真で
ざっとこんば感じです。
議員のニュースというのは、
主語が私はとか私たちがということになるから、自分でも物足りない。
実際は、
「木を切ることは気を切ること」と経験則からお話しくださった自民党幹部
「木を残して道路整備をすべきだ」と冒頭から宣言してくれた公明党さん
「陳情が出た翌日に陳情者関係者のところに区が押しかけ、陳情を取り下げさせたことは陳情権の侵害である」と
弛緩した行政の空気に緊張感を持たせた共産党さんの追求、
それらこれらの良識が功を奏した稀有な例だったのではないか。
また
そもそもは、私たち区議会がチェックしきれなかったこと、ましてや私たち議員が、イチョウ伐採の事実を知るよりさらにのちに、契約当事者である区長がこの事実を知ったという、まさに、昨年来の混乱の中で次から次へと出てくる、あるまじき実態、一本何かが外れている、
豊洲状態、いや朴槿恵状態、いや舛添状態なのかもしれないと思うような千代田区の日々、それでも、弛緩しきった長期政権はただただ続く、ほぼ続くことだけが目的のように。
困ったものだが、千代田区の政治力学はすでに、神様のレベルじゃないと、正せないのかもしれないなあなどと、長らく様々な選挙にかかわってきたものとしてはそんな感じ。
結果的に数々の選挙は仕掛けて来たというより、むしろ湧き上がるチカラを受け止めてそれをお手伝いする、ほとんどはそうだった。
その一つ一つにまったくのくいはないし、勝てばバンザイ、負ければ民主主義の種まき、それで良かったと思っている。
今度はバンザイか種まきか、ミミを良く傾けて、地べたから湧き上がるチカラに従って動くのみだと思っている。

イチョウは残ったが、プラタナスは危機に瀕している。

100年イチョウは残すが、50年プラタナスは、どうにもならないのか、自力だけではいかんともしがたい。

ひとまず、声を出し思いをよせていただいたみなさまに、お礼方々ご報告です。

2016年11月1日

小枝すみ子