昨日、7月1日は「常磐橋修復工事」第2回見学会
本日、7月2日は「神田川日本橋川ライン下り」

偶然に二日続けて、歴史的な川と橋を、陸と水面の両方から見る機会を得た。
いずれも、日本一優秀なガイド役の解説付きである。

まずは、
文明開化期(明治10年)に造られた唯一現存する石橋「常磐橋」の修復復原のこと。
2011年3月11日東日本大震災で倒壊寸前の石橋を、丹念に丹念に修復してくれている。

場所は、
明治29年、唐津出身の建築家、辰野金吾がベルギー国立銀行を参考にして設計した
「日本銀行本店」、その真ん前に、皇居大手門に向かって日本橋川にかけられた橋が
「常磐橋」です。

明治10年に造られた、ということは、先にこの石橋があって、日銀はそのあとに建てられたことになる。
当日もらったパンフレットの写真がもっともわかりやすいので貼り付ける。
写真の手前には、常磐橋桝形門あとがある・・・、はず。

江戸の地霊が最も強いと言われる方角、ほかにも文明開化期15の石橋があったが、
関東大震災後、次々解体される中で、常磐橋保存の市民運動が起きて
この一つだけが保存されたという。

その保存に大きく尽力したのが、日本資本主義の父、渋沢栄一氏。
常磐橋公園に立つ銅像、毅然として、大手町丸の内方面を眺めている。

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渋沢さんの下の写真は震災前の常磐橋、

その下は、江戸時代の木橋だった常磐橋の絵、
その先に大手門、江戸城が見え、さらにその先に富士山が見える
この場所性は、そんな見事な立地であったことが窺える。

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いまだけ見える、江戸時代の木橋と石橋の基礎グイにあたる部分?!

もう少し、千代田が誇る文化財の後藤学芸員さんに根掘り葉掘り聞きたかったが、
見学者も多いことから、この日は遠慮した。しかし、江戸と明治と川と文化財。奥が深い、面白い。

護岸の地層に、江戸時代の路面と明治時代の路面という風に記されている。

橋脚の下を川底奥まで支える沢山の松杭も見ることができ、
戦争で拠出しなくなっていた唐草模様の手すりも今回復原させるという。

日銀側(左岸)には、水面近いところにベンチなど置いて、川沿いでいっぷくできるようになるという。
あらたなデートスポットになるかもしれない。

素敵な情報満載の常磐橋だが、気になるのは2027年に向けて、眼前にそびえたつことになる
390メートル日本一の再開発計画である。
2020年以降、人口減少と空室率の上昇は避けられないという中で、どのような考えから
こうした計画が動いてしまうのだろうか。

理念派の経済人、渋沢栄一氏の嘆きが聞こえはしないだろうか?!
週刊東洋経済(ビジネス)

三菱地所、「日本一の超高層ビル」計画の薄氷

甦る「ランドマークタワー」の苦い記憶

http://toyokeizai.net/articles/-/84122

201508231mitsubishi-3説明会場で、この計画の許認可権者はどなたですかと聞くと
安倍総理大臣です、と答えてくれた。

誘い合わせたわけでもない、説明会に来ていた内神田の住民が
それを聞いて「こりゃダメだ」と思って帰ったと言っていた。

ある意味、安倍さんらしい、
お札はどんどん増刷すればいい、
建築規制はどんどん外して床を増産すればいい、

それによって将来がどうなろうと、あまり関心はお持ちにならないのかなあ?

本日は、常磐橋修復工事見学会の感想にとどめ、
後日、時間があったら水辺から見た都心のまちづくりをお届けします。

2016年7月2日

自宅にて
小枝すみ子