出会い再会の春続く〜〜〜♪♪
3月12日久しぶり拓く会
平成3年1991年、27歳の春に、千代田区役所の職員を辞めて
区議会議員になった私は、6月議会で最初の質問、朝日ジャーナルで記事になるほど
話題性があったのに、傍聴席には区民が誰もいないのにビックリ。
それが、大きく変わったのは、その年の12月に発表された
『公共施設適正配置構想』(コウテキハイ)の衝撃でした。
12月25日に、区報で広報された記事を見て、13校の小学校、5校の中学校を
すべて廃校にして、新たに幾つか新設するとの概要に、大きな衝撃が走りました。
そこから始まった、教育と文化を守る会、そして政治活動も辞さないとする
人たちで作った『明日の千代田を拓く会』が、千代田区を二分して闘った
そんな時代がありました。どこからともなく、久しぶりに集まろうかと、
立ち上げの場所でもあった?学士会館で、再開することが出来ました。
と、昔語りにしてはいけないのですが、そうした人々のエネルギーが
いまも、それぞれ世代が変わり町会長になったり、婦人部長になったり
国を動かす人になっていたり、市民活動を支えていたり、
国際的な経済活動を展開していたり、まあ、さすがとしかいいようがありません。
20年たったからこそ話せる思い出に、花を咲かせました。
あのようなエネルギーがある人はどこにいても前向きで力強いものです。
スリランカのお客様
13年前に、ご縁があってスリランカでお世話になったお医者さんの
ご家族が千代田区訪れて下さいました。
私たちが訪れた翌年に、あのスマトラ地震と大津波があったこともあり
私が所属する千代田区議会の災害対策委員会を傍聴していただいたり、
9階10階にある千代田図書館や区議会の議場をご案内、小川町の美味しい天ぷらやさんで
食事をしました。
国際都市千代田区なのに、英語のPRビデオがなかったり、海外からのお客様をご案内する
方法があまり豊富ではないことも、少々驚きましたが、私も、区議会もある意味同じなので、
まずは、隗より始めよかな、と、考えさせられました。
可愛い子供たちの、少し前は『おしん』が、今は『チャングム』が大流行だそうです。
区議会は二年目の折り返し
6月14日告示、23日投票の都議会議員選挙に向けて、
自民党はあらゆる予告と予想に反して内田茂さんの出馬を決めたとのことで、
周辺や後援者に『絶対にその方向には決めない』と宣言していた区議団自民党は、
弱り果てた空気の中で、しかし、区議会はそれでも続くわけで、
5月20日の区議会体制を仕切り直す、人事議会に向けて、昨日より調整が始まりました。
正副議長の人事、常任委員会の所属や正副委員長、特別委員会にすべき優先課題の整理など
話し合いが続きます。まちは神田祭り、祭りもマツリゴト(政)も大いに盛り上げていきたいものです。
祭りは、震災で延期だったことから、4年ぶり、すでにまちは祭り準備一色、
マツリゴト(政)は厳しいですね。威勢がいいとはいえません。
しっかりしろよと、マチからゲキも飛ばなくなったら終わりなんですけどね(;^_^A